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夏木陽介さんを偲んで

同窓会事務局
報告
2018年02月10日

夏木陽介さんを偲んで


1月19日の朝、娘が私の寝室に飛び込んできて、「夏木さんが亡くなった・・・」と。
すぐに、1年先輩の弟さんの、阿久澤博さんに連絡をしました。
実際には、2017年12月17日から2018年1月14日まで意識が戻ることなくご逝去されたとの事でした。
昨年秋、博さんと連絡を取り合った時には、夏木さんはお元気なご様子でした。

しかしながら、2009年頃より、幾多の大病に負われながらも一切弱音を吐かれる事無く、常に病に立ち向かってゆく姿が、“青春とはなんだ!”の主演のスタイルの如く・・・。「兄貴は本当に精神的に強い人だった!」と博さんから、度々、お聞きしたことがありました。

私が初めて夏木さんにお会いしたのは、当時成城にお住まいがあった頃、博さんに
「醍醐、家に遊びに来ないか?」と誘われた時でした。
そして、お茶をご馳走になっているとき、「おい、醍醐、兄貴の部屋を見るか・・」と誘われ、私は興奮しながら「この部屋があの夏木さんの部屋・・・」その部屋には、床から天井までレコードが見事なまでに保管されており、高価なオーディオ機器が置かれている部屋でした。
ぼーっと部屋の中を眺めていると、突然扉が開き、夏木さんが入って来られ、「おい、お前はだ?」と・・・
当時の夏木さんは、『我々の青春時代のヒーロー』、私は、ただただ、びっくりして「すみません。私は醍醐といいます。」と、一言しか答えられず立ちすくんでいたら「そうか」と・・・。
それが、初めての出会いで、その日は、成城学園駅まで、愛車のロールスロイスで、夏木さんご自身の運転で送って戴きました。
終始、頭の中が眞っ白になっていました事、今でも鮮明に覚えています。

現在、愛車のロールスロイスは、大阪市にある世界で唯一無二のクラッシックカー博物館『GLION MUSEUM』に寄贈されており、年に何回か、ラリーでジャガー・100SS(1936年製)【夏木さんBirthday年度】で、運転されると伺ったことがあります。
始めての出会いから46年経過していますが、私の心の中では、昨日の事のように記憶しております。

いくつかエピソードはありますが、私が夏木さんに連絡をさせて戴く時は、何故かいつも決まってお酒を飲んでいる時で、必ず「醍醐は、酔っぱらってる時にしか連絡しないな」とよく笑っておられました。夏木さんは、アルコールは飲まれない方でした。

それ以来のお付き合いがご縁で、2007年桜美林学園リ・ユニオンで、当時同窓会副会長の藤本順子(78大英卒)さんとトークショーの司会をさせて戴き、桜美林時代の思い出、クラシックカーの話など、大いに盛り上がり、夏木さんのスター性で、懐かしい思い出として残っております。
その後も、リ・ユニオンでの再会を何度か致しました。
あの、ダンディーなお姿が忘れられません・・・。

突然の訃報、お悔やみ申し上げる次第です。
安らかにお休みください・・・。

              71大英卒   醍醐正武


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