創立者 清水安三の思想と人生

隣人に寄り添える心を持つ国際人の育成を目指して
~中国から始まった桜美林学園の歩み~

桜美林学園は、建学の理念として「キリスト教精神に基づく国際人の育成」を掲げています。それは、学園の創立者清水安三の開設当初からの「隣人に寄り添える心を持つ国際人を育てたい」という願いでもありました。

安三は、同志社大学神学部卒業後、1917年、日本組合基督教会が派遣した最初の宣教師として中国に渡りました。2年後、中国北部を未曾有の大干ばつが襲います。安三は幼い命を守らなくてはと直ちに災童収容所を開設し、北部一帯の村落を巡り、飢餓に苦しむ799人の幼い命を救いました。幸い翌年には収穫が見込まれたので、安三は最初の妻美穂と共に子どもたちをそれぞれの家に送り届け、災童収容所を閉じることができました。しかし、たとえ救済事業は終了しても読み書きや自立の為の技術を教えることは必要であると感じ、1921年、北京の朝陽門外に崇貞平民女子工読学校(後に崇貞学園と改称)を設立しました。これが桜美林学園の源です。

崇貞学園は、キリスト教精神に基づき国籍を超えて門戸を開き、日本、中国、朝鮮半島の子どもたちが分け隔て無く学べる学校として発展しました。記録には1945年当時、約700人の生徒が在学していたと残っています。
安三は、崇貞学園開設3年後、教育活動が軌道に乗り始めたことから、アメリカ留学を決意し、オハイオ州オベリン・カレッジに入学します。そこで、オベリン・カレッジの校名の由来であるフランス・アルザスの牧師であり教育者であったジャン=フレデリック・オベリン(Jean Frederic Oberlin 1740-1826)の教育思想に出会ったのです。

桜美林学園が今も学園のモットーとして大切にしている「 学而事人(がくじじじん:学びて人に仕える)」の教えは、実はこのオベリンが提唱した“Learning and Labor”の思想に基づくものです。

オベリンは、当時、ドイツとフランスの狭間で戦争の破壊と略奪に翻弄されたアルザスの地で、1768年、世界で初めて子どもの学校を創設した人物であり、その生涯を虐げられていた人々のためにささげ、「国と国の争いや宗教と宗教の対立に関係なく、幼子が人として健やかに成長する」ことを願って、困窮から子どもたちを守るために教育の業を実践した人物です。

安三は、1945年8月、敗戦によって全てを接収され、帰国を余儀なくされましたが、帰国直後に偶然出会った賀川豊彦(桜美林学園初代理事長)に現在の地である町田を紹介され、教育活動を再開することを決意、校名を「桜美林学園」として、どのような環境にあっても常に希望を持ち、国や人種の垣根を越えて、人々の痛みを理解し、多様な価値観に対応できる人材を育てるために心血を注ぎました。

1921年に1人の青年によって中国北京の地に蒔かれた一粒の種は、時を越え、ところを移し、今では幼稚園、中学校、高等学校、大学、大学院に10,000人を超える園児、生徒、学生が集う学園として発展してまいりました。
桜美林学園は、どんなにキャンパスが大きくなっても、集う一人ひとりの心を大切に見つめ「隣人に寄り添う心」「どんな艱難(かんなん)にあっても希望の光を灯し続ける心」を育てたいと願いつつ、教育の業に務めています。

「学んだことを通して、人に仕える人となる」──安三が実践した「 学而事人(がくじじじん)」の精神は、今も大切にこの学園に受け継がれています。