写真で振り返る学園の沿革(移りゆくキャンパス)

桜美林学園は、その前身である崇貞学園に始まり、2021年には100周年を迎える学校法人です。沿革では年表によって時系列に歴史をたどることができますが、学園の歴史を刻むように折々に撮影された数多くの写真も残されています。

各行事を知る写真、校舎が充実していく様子が分かる写真を通して桜美林学園の歴史を振り返ります。

(町田に創立されて60周年を記念した写真展「桜美林の記憶」を再編し、最近の写真を追加しました)

移りゆくキャンパス

1930年代後半〜1940年代前半ごろ

崇貞学園校舎

写真は崇貞学園の講堂です。今写真で見ても非常にしっかりした建物で、このような建物を建てる資金は、創立者の清水安三先生がさまざまな後援者から募った寄付金と、生徒たちの頑張りによって支えられていました。粗末なバラックのような校舎から始まった崇貞学園は、1921年に創立してから15年以上をかけて、石造りの立派な講堂を持つようになったのです。

終戦に伴い、中国政府に1945年11月8日に接収された後も、崇貞学園の校舎は1990年ごろまで使われていました。

1951年

桜美林最初の校舎

この写真の建物は、桜美林最初の校舎です。淵野辺近辺は、戦争中数多くの軍需工場が建ち並んでいました。この建物は、そうした軍需工場で働く工員のための宿舎として、戦争が終わるまで使用されていました。戦争が終わり、その役目を終えたこの建物は、終戦直後の物不足に悩む周辺住民の略奪に遭い、廃墟のようになっていました。しかし、キリスト教会を通じて清水夫妻が借り受けることとなり、新しい学校として、平和の象徴に生まれ変わりました。

1956年

生徒たちのプール工事

この写真は、1957年の創立10周年を記念した水泳用プールを、生徒や教職員が自分たちで作っているところです。

1960年ごろ

明々館とチャペル

安三は日頃から、周囲の生徒や教職員に「いつか白亜の立派な鉄筋コンクリート造りの校舎を建ててやる」と豪語していました。当時は旧陸軍のオンボロの校舎を使っており、安三の言葉を信じる人は多くなかったそうです。

写真の中央は、桜美林最初の自前の建物であり、最初の鉄筋コンクリート造りの校舎、旧明々館です。この明々館は、安三が中心となり、生徒の父兄をはじめ、たくさんの人々から集めた資金をもとに建設されました。

写真の右側は、桜美林学園で最初に建てられたチャペルで、1959年に完成しました。

この二つの美しい建物は、長い間桜美林のシンボルとして親しまれてきました。

1970年

三到図書館完成

南宋の朱子が唱えた読書をする際に必要な三つの条件「読書三到」から三到図書館と命名されました。「読書をする場合、心を集中して、目で見て、声に出して読む」という三つの条件を重視し、真の読者の育成を願った安三は、図書の収集に熱心でした。自身で本を買いに行ったり、学園内外の各先生方に蔵書の寄贈を積極的に働きかけたりして、図書館の充実に努めました。

1994年

完成間近の太平館

これは太平館が完成する直前の様子を撮影したものです。今は太平館の右手に新明々館が完成していますが、この時はまだ影も形もありません。また左側にある建物は、崇貞学園から名前を取った旧崇貞館です。この建物は、もともと学生寮として建てられました。現在の崇貞館は、この崇貞寮の跡地に建てられています。

2003年

プラネット淵野辺キャンパス(PFC)完成

「まちに溶け込んだキャンパス」として、JR淵野辺駅直結のプラネット淵野辺キャンパス(PFC)が完成しました。充実した照明・音響システムを持つPFC内のプルヌスホールでは、多数の公演やワークショップなどのイベントが行われています。

2007年

新チャペル完成

2006年、学園創立60周年を期に荊冠堂チャペルを建て替えることが決まり、2007年11月に斬新で近代的なフォルムに生まれ変わりました。内部には、スイス製のパイプオルガンも設備されています。

2017年

現在のキャンパス

1994年の太平館建設を皮切りに、2000年に栄光館、2002年に崇貞館、2006年に明々館と次々に校舎が建てられ、現在のキャンパス風景となりました。