年間聖句

わたしたちは見えるものではなく、
見えないものに目を注ぎます。
見えるものは過ぎ去りますが、
見えないものは永遠に存続するからです。

(コリントの信徒への手紙二 4章18節)

年間聖句とは、この学園に連なる者たちが一年間を通して指針とすべき聖書のみ言葉です。この聖句を心に掲げて、2022年も希望をもって歩み続けたいと願います。

長い人生の中では、原点に立ち返るときが何度かやってきます。大抵このような状況というのは、何かの壁に直面して心が折れそうなときや、予期せぬ事態に困惑するときです。原点に立ち返ることで初心に戻り、気持ちの整理をつけて新たな力を得ます。原点とは、私たちの人生に意味と方向性を与える原体験のことです。上記の言葉は人生の厳しい荒波を背景として生まれた言葉であり、桜美林学園をその原点に立たせてくれるものです。

この言葉を書いたパウロという人は「見えるもの」と「見えないもの」を対比させることによって私たちに考えるきっかけを与えます。「見えるもの」は一時の苦難のように過ぎ去りますが、「見えないもの」は永遠に残るというのです。キリスト教では、神様がこの世界を創造されたと信じます。また、目には見えない創造主の最も大きな特徴は「愛」であると信じます。パウロは次のように書いています。「信仰と、希望と、愛、この三つはいつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」人は目に見えるものに目を奪われがちですが、心の目をもっと深いところに向けてみると私たちは神様の愛によって支えられています。神様の愛は私たちが決して失うことのない人生のセーフティネットのようなものです。

桜美林学園の創立者清水安三は若いころから浄土真宗に親しみ、儒教の教えに沿って人格形成を求めた人でした。「私は小さいころから宗教に熱心だった」と自らを振り返っています。厳しい家庭環境の中で、自分の人生に夢を描けず、他者との比較の中で劣等感に悩まされていたときにキリスト教と出会い、ちっぽけに思えた自分の人生に意味を見出しました。たとえ自分が小さな「石ころ」のような存在であったとしても、神様が自分を通して大きなことを成し遂げて下さるとの確信に導かれ、ここから清水の人生は新たな方向性を与えられました。清水の原点とは、日本の伝統的宗教と文化の土台の上に建てられたキリスト教信仰でした。現代社会では宗教に意味を見出す人は少ないかも知れませんが、本来宗教というものは私たちの人生を豊かにし、困難の中で私たちを強く雄々しく立たせてくれるものです。大変な中にあっても心に余裕を与え、他者のことを考える優しさを与えてくれます。清水は桜美林学園で学ぶ全ての若い人たちにこの強さと優しさを願いました。

桜美林学園は昨年創立百年を迎えました。パンデミックは私たちの日常を圧迫し、当たり前に思えたものを奪い取ってしまいました。社会は疲弊し、私たちが抱いた夢もいつ実現できるか分かりません。「見えるもの」を追い求めてきましたが、聖書にあるようにそれらは過ぎ去ったかのようです。私たちは二つの世界を生きています。「見えないもの」の重要性について考えることは、桜美林学園の教育の柱の一つです。桜美林学園は全人教育を目指します。学生たちが知識を養い、探究する楽しさを知り、広い世界に触れ、スキルを身につけ、自分なりに苦労を重ね、社会に生きる人として成長できるように支え導きます。しかし、この全人教育にはもう一つの側面があります。個々人の内にある世界を豊かにすることです。どんな試練にあっても希望を失わず、大変な時にこそ人への思いやりを備え持つ人の育成です。私たちの「内なる人」は見えるものだけではなく、見えないものによって支えられているのです。

生命の源である愛の神様によって私たちの日常は日々新たにされます。101年目を迎えた桜美林学園は、その礎が永遠に変わることのないものの上に成り立っていることを改めて確認しています。本学で学ぶオベリンナーの皆さんもまた、永遠に存在するものに励まされた歩みができるように祈ります。