私達は排日の最中に北京で長年学校を経営してきたものであるから、大抵のことには、癪に触りもせず辛抱できるのであるが、お祭りの日の夜、学園の門の両側に植えたる一対のヒマヤラシダーの松の木の片方のシンをへし折られたには弱った。シンをへし折りそれをそのあたりに投げて行った。今晩は桜美林をやっつけようといって、申合せている若衆の相談が洩れ聞こえたので、特に無抵抗を以て、事を起こさぬように生徒達に心構えをさせて置いたから問題は起こらなくって、松のシンが折られただけで済んだのであるからよかった様なものの、誠に残念なことであった。
左側の松が、年一年と上へ上へと伸びて行くのに、右側の松が何年たっても、幹は太っても背は一寸も五分も伸びないままで、何時までも何時までも永久に折られたままに曲がっているであろうと思うと、本当に遺憾である。そして門前を行く人々は、顧みて何時までも何時までも、これを徒らにへし折りし人が誰であるか知らぬがその人を呪うであろう。人に呪われるような人間の運命にろくなことはないにきまっている。