さてわたくしが、自らの人間像を決定的に胸に画いたのは、実に6歳の時であった。それは明治30年9月25日であった。わたくしは尋常1年生だった。その頃新儀村の村長だった伯父が、わたくしを伴うて、藤樹祭に参列した。隣村の村長であったためか藤樹聖院の正面に席が定めてあった。勿論わたくしは自分の椅子は無かったから、伯父の膝の上に抱かれて参列したのであった。
師範学校の学生が、金ぼたんの白い服で、ずらり整列していたのを今も猶お、目に浮かべることができる。河島醇という知事が恭しく藤樹の位牌の前に礼拝したことも、川毛三郎という郡長が知事にペコペコ頭を下げていたのも記憶している。
平素一番エライ人とのみ思っていた郡長の川毛さんが知事さんの前に出ると、まるで青菜に塩だ。それ程にりゆうとせる知事川島醇が、畳に両手をつきて額をすりつけて拝んで止まない藤樹さんは、こらまた何というエライ人であろうという気持ちになったのであった。