「復活の丘」清水安三語録(第6号)

1955年、創立者 清水安三の執筆により卒業生に向けた会報が「復活の丘」という名前で誕生しました。第1号(1955年8月1日発行)から第11号(1956年5月1日発行)の中に、学園が創成期から徐々に大きく成長していく中で語った安三の言葉があります。

「復活の丘」はその後順調に発刊を重ね、1993年10月発行の151号より「同窓会だより」とタイトルを改め、現在に至っています。

第6号「学園十大ニュース」

1956年1月1日発行号に掲載

桜美林学園でも去年から世相にならって十大ニュースを選定することにした。良いにも悪いにも学園の内省の機会と新しき成長を思索する基礎を与える資となる。

  1. 短大に家政科増設の認可(1月20日)教職組織のために最後の瞬間まで苦闘したが遂に成功した。
  2. ミスタ・タウンズ—米国オベリン大学派遣教師の到着(2月12日)厳冬なのでエルダー氏の時の様に横浜へ出迎えはしなかったが校を挙げて歓迎陣を布いた事は同じであった。
  3. キャップとガウンの短大卒業式(3月14日)角帽に黒色長衣の礼装、日本の学校最初の卒業式意匠である。本学園短大整備の象徴である。
  4. 学園表門空地に造園(4月—5月)
  5. エルダー氏女児誕生(5月31日)桜美林生まれのナンシー嬢が将来日米間のよき禊となられる様祈る。
  6. 短大講師大野一男氏の米国留学(8月9日)。氏は本学園英文科出身、更に早稲田大学に学び、卒業後3年間母校に献身勤務された有為の青年学徒、錦衣帰朝の日を待つ。
  7. 田中勉氏(短大助教授)小川留三氏(高校教諭)は8月と12月に結婚された。両氏とも略々創立当初から学園に勤続。特に小川氏新婦は忠生村出身のクリスチャン。御協力地域社会への貢献を期待する。
  8. フェア・フィルド博士来校(9月12日)オベリン大学より日本、台湾、印度に於ける教育事業視察のために派遣された視察員。
  9. 学園グランドで武相地区中学ベースボール試合(9月23日)佐藤教諭の努力実を結ぶ。
  10. 高校短大男女学生九名の洗礼(12月23日クリスマス祝会の朝)朝な夕なのチャペル礼拝、祈祷会、聖書研究の時間が若き人々の信仰の成長を助けたのである。今日の九名が10年、20年、50年後に30倍、60倍、100倍、1000倍の実を結ぶことを祈って止まない。蓋し本件は十大ニュースの隋一本年掉尾の慶事である。(12月28日)

来年は精神的復興が一大ニュースになるようにと祈る。(12月28日、郁子)

1955年当時の野球部
この年、佐藤保監督(右端)が就任

上の如くに十大ニュースを選んだからには、僕は下の如くに学園十大ニュースを選ぶとしようか。(安三)

  1. 8月に復活の丘が発刊した。
  2. 5月に、聖保羅育児園が建設せられた。
  3. フェアフィールド博士の視察。
  4. 密入国の高権錫君の強制収容。
  5. 原口外4名の事件。
  6. 診療室を閉鎖した。
  7. テレビが与えられた。
  8. 佐藤先生が来られ、野球部がどうやら甲子園街道を走り出した。
  9. 柔道場の建設。
  10. 大野一男氏の渡米。