僕の小学校時代は、修学証書の外に優等証書というものも呉れた。「学術優等、品行方正奇特に付之を証す」という文句だった。優等証書だけしか預けぬ生徒もあったが、それに褒美というものを添えてもらったものも各級に四、五名いた。僕は余程自信があったと見えて、風呂敷を一枚たたんでふところへ入れて卒業式へ行ったもんだ。それは商品を包んで帰るための用意であったことはいうまでもない。
僕の家の風俗として、褒美をもらった子供には赤飯を炊いて、かしわと百合根の茶碗蒸し、ひらにはブリの一片に白根、青い根の葱を柔らかく煮て添え、焼き物には小鯛を焼いて塩を振るえるものであった。母としても、こうした馳走を作って待ちつつも、栄ある子らを持てることを身に染みて幸福に思ったに違いない。
その頃には落第生にも卒業式に列席せしめたものだ。残酷なことをしたものである。一人一人に修業証書を手渡したる後、校長は誰の何蔵は落第、何某何之助も落第という風に名を呼んでいい渡した。勿論元気を落とさず、この際大に発憤して勉強するようにさとす言葉を付け加えながら披露したことはしたが、今日から思えば想像もできぬ残酷な式であった。落第生はまた落第生で、自分の名前を呼ばれると声を合わせて泣きしゃくるのを儀式にしたものであった。僕のすぐ上の次兄は、学校を長く欠席したために遂に落第の数に入れられてしまったのであった。